Tuesday, March 15, 2016

0082 写真がもっと好きになる。 菅原一剛 ★★


もとより写真好きという人であればもちろんですが、写真に興味はあるけれども、どこから手をつけていいのかわからない、という人にこそ読んでほしい本です。

僕個人は、本書を読んで二つのことを思いまして、順に一つずつ。

一つ目は、素直に写真に向き合うことの大事さです。写真に向き合った時に、自分の心の中に起こる変化に耳を澄ますこと。目を凝らして、写真をていねいに見る、観る、視ること、耳を澄まして、心の中に起こる感覚をていねいに聞く、聴く、訊くこと。

美術史なんぞを勉強すると余計な知識がいろいろと身についてしまって、素直な感覚に身を任せて作品と向き合うことが難しくなります。どうしても解釈しようとしてしまうんですね。でもこれがくせ者でして、そういう態度で作品に接してしまうと、その作品が本来的に持っている豊かさを十分に楽しめない、むしろ減殺してしまう可能性があります。

大好きな批評家のスーザン・ソンタグは著書『反解釈』のなかで、薄っぺらい芸術評論の横行を痛烈に批判して、次のように書いていますね。

都市の大気を汚染する自動車の排気ガスや重工業の煤煙と同様、芸術に対する解釈の横行がわたしたちの感受性を毒している。(中略)肉体的活力と感覚的能力の犠牲において、知性が過大に肥大する、という典型的な矛盾にすでに犯されているのがわたしたちの文化であるが、これに輪をかけるようにして、芸術にたいして知性が恨みを果たそうという試みが、すなわち解釈なのだ。
スーザン・ソンタグ『反解釈』より


芸術を解釈するっていうとまずは批評家ということになりまずが、では批評家とは何者なのか。批評家ってだいたいはアーティストになれなかった人が、行き詰まった末にしょうがなく食うためにやっている職業なんで、批評のクオリティが低いのは仕方がないんです・・・モチベーションが低いんでしょうね、というのは僕の意見ではなくって坂本龍一さんの意見ですが(※1)、さてどうなんでしょうかね。

これは写真に限らず、絵画でも彫刻でも詩でも音楽でもそうなんですけど、よく「わかる」とか「わからない」といったことを言う人がいますよね。ルノアールはわかるけどデミアン・ハーストはわからない、モーツァルトはわかるけどクセナキスはわからない、みたいな言い方なんですけど、じゃあルノアールがわかるの!?モーツァルトがわかるの!?すごいですね!!!と驚いてみせると、いや、わかるっていうか、なんか理解できるというか・・・みたいな中途半端な反応で終わることが殆どです。

そもそも「わかる」といってることが「わかってない」証拠で、芸術作品だけでなく、映画も人間も家具も法律もレトルト食品も「わかる」わけがないんです。じゃあどうするかとなると、かわりに「感じる」しかないということです。正しい「解釈」はない。わかるというのは正解がある世界を念頭に置いていますが、写真は謎解きではないので正解はない。ということで話を元に戻せば、この「感じる」ということをまずは最初に持ってこようよ、ということを再確認したのが、一番目に本書を読んで考えたことです。

で、二つ目は、写真を「撮る」側の態度、を再確認したということになります。どういう態度かというと、「映すべき被写体は、外の世界ではなく貴方の中にある」ということです。

高校から大学にかけて、付属高校ゆえに受験勉強の必要がないこともあって、ずっと作曲の勉強に没頭していました。本当に、学校の授業も最低限しか出席せずに、芸大の図書館や練習室に忍び込んで楽譜に向き合っていたんですけれども、今考えると「音楽を生み出す」という営みについて、長いこと根本的な勘違いをしていたんですよね。

それはどういうことかというと、僕は「どこかに素晴らしい音がある」と思って、自分の外の世界に音を探しに行くというモードでずっと作曲していたんです。これはまった才能がないからであって、今から考えれば本当に赤面するしかないんですけど、本当は、音楽を作るという行為は全く逆の営みで、「自分の中に鳴っている音に耳をすます、それを掬い取る」ということなんですよね。

で、本書を読んで、菅原さんが、写真を撮るという行為は対象となる世界を客観的に切り取る、ということでは全くなくって、その時に感じた自分の感覚を世界を題材にして写し取るという行為だ、という趣旨の指摘をされているのに接して、あああまた同じ勘違いをしていたんだな、と。写真を撮る時に一番大事なのは構図とか露出とか、まあいろいろありますけど、切り取ろうとしている世界の一部によって自分のどういう気持ちを表現したいかなんだな、ということをあらためて認識させられたというのが二つ目の気づきです。

菅原さんは単純に、寂しいなあという気持ちがわいた風景であれば、思いっきり「寂しい!」と感じながら撮れ、と言っています。そうしないと「寂しい!」という感覚は写真には映らないよ、と。おおお、むちゃくちゃわかりやすい。

すいません、なんかむちゃくちゃわかりにくい文章になってしまいましたが、この本、写真に興味のある人に勧めてだいたい感謝されているので、本当にオススメです。僕自身が、この本読んであらためてちゃんとカメラと向き合おう、と思いましたから。

※1:さすがに無責任なので、どこでそう言ってたかを調べてみたら、1986年に出版された吉本隆明との対談本=『音楽機械論』のなかにありました。高校生の時に読んだ本だけど覚えているものですね。この本、吉本隆明と坂本龍一という、今から考えればありえない組み合わせの対談本なんですけど、吉本隆明に「坂本龍一を鋭く批評したものがないか」と問われて「ない」と答えた坂本龍一さんが「どうしてですかね。耳のいい人がいないんじゃないですか、音楽評論家で。つまり、ちゃんと聴いてないんじゃないですか。皆二流なんです。ほとんど音楽家になれなかった人が評論家やってたり、ぜんぜんモチーフとかがないんじゃないかしらね」と返しているのが原典ということになります。





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