Sunday, March 6, 2016

0079 コンピュータが仕事を奪う 新井紀子 ★★★


本書が出版されたのは2010年のことです。ここ最近は本書がとり扱っているテーマ、つまり「人工知能と人間の仕事の奪い合い」という問題について書かれた書籍や雑誌もずいぶんと見かけるようになりましたが、六年前に出版された本書のほうが、類書と比較しても腹落ち感はあると思います。いまこの原稿を書いている2016年3月時点では絶版になってしまっているようですが、こんなに面白くて有意義な本がなぜ売れないのか、まったく不思議です。

著者の新井紀子さんは数理論理学を専門とする数学者です。本書と類書の質的な違いは、一にも二にも「数学者が書いている」という点によっていると思います。人工知能脅威論をテーマにした本はたくさんありますけど、根本的な計算機科学の原理までさかのぼって「人工知能とは何か?何が得意で何が不得意なのか、そしてそれはなぜなのか?」を掘り下げて説明している本ってあんまりないと思うんですよね。知っている方がいたらぜひコメントください。ちなみに新井紀子先生は、人工知能「東ロボ君」を東大に合格させるという「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトのリーダーでもあります。

産業革命のときに起こったラッダイト運動を持ち出すまでもなく、新しいテクノロジーが普及し始めると、一種のヒステリーのような脅威論が横行することになります。日本でも明治時代に電線を引き始めたとき、電線を伝ってサルがやってきて街を荒らすみたいなことが真面目に心配されてしましたけれども、気分に流されたこういう脅威論は、「ではどうすればいいのか」という対応策につながりません。

この点について僕はいろんなところで話していますけど、自分をひとつの事業体として考えてみるとわかりやすい。「仕事が奪われる」ということは労働市場に人工知能という新たな競合が登場するということです。これは「代替品の脅威」あるいは「新規参入の脅威」ということにですから、競争戦略の枠組みを持ち出してこれを考えてみれば、人工知能は何が得意で、何が不得意なのかをまずは理解しないと対応策の立てようがないということになります。

しかも、ここがポイントなんですけど、その理解は「原理に基づく」ものになっていないといけません。なぜかというと、人工知能の「得意、不得意」を現時点のパフォーマンスに基づいて表面的に理解しても、将来の見通しは得られないからです。

僕は45歳なんで、あと十年くらいは労働市場から退出しないと思いますが、これくらいの時間軸であれば人工知能の労働市場での競争力がどんどん高まっても、まあ逃げ切れるかなあと思っています。問題は僕たちの子供たちの世代です。彼らはあと五十年くらいは労働市場から逃げられないわけで、超絶進化した人工知能と労働市場で真っ向から対決することになります。そういう彼らに対して教育を与える義務を負っている立場としては、彼らの敵が何を得意として何を不得意とするのかについて、原理的な理解をしておいたほうがいいと思うんですよね。

新井先生は本書の中で「すべての人は、コンピューターを奴隷にする人とコンピューターの奴隷になる人の二つに分類されるようになる」と予言していて、ある意味では「救いのない」結論になっています。ちなみに新井先生は、子供にパソコンの使い方を教えるなんていうのは、コンピューターの奴隷になる訓練を子供時代からさせているようなものだ、として愚の骨頂だといっています。主張の是非はともかくとして、人工知能というものがいったいどういう原理に成り立っているのか、その原理ゆえに何が得意で何が不得意なのか、を噛み砕いて理解できる、とても良い本だと思います。

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