Tuesday, March 1, 2016

0063 新約聖書略解 山内真 ★


略解とは注釈書のことだと思ってもらって結構です。本書では、新約聖書の章立てに沿って、それぞれの文書をより深く理解するための背景や関連箇所、文意や隠喩などが解説されています。

これは旧約にも新約にもいえることですが、聖書をオリジナルのテキストのまま繰り返し読んでも理解の度合いは深まりません。たとえば新約聖書であれば、最初に通読する時はこういった注釈書を読む必要はないと思いますが、二度目、三度目と読むときには、やはり略解を参照しながら読んだほうがいいと思います。

なぜそう思うかというと必ず誤解するからです。聖書は非常にぶっきらぼうというか、不親切でわかりにくい記述が多いので、そのまま素で読むと、必ず自分の人生観や経験に引き寄せた浅薄な理解をしてしまいます。聖書読みの聖書知らず、という言葉がありますが、何十年も聖書に親しんでいながら、有名箇所の文意を完璧に誤解しているという人はすくなくありません。

もちろん、それはそれで「自分の聖書の理解」であって信仰という側面からは否定されるべきものではありませんが、神学という側面からは問題になります。それぞれの文書がどのような意図で書かれており、それぞれの箇所がどのような文意や隠喩を持っているのか、それが正しいかどうかはおいておくとして、神学の世界ではどのように解釈されているのかを知っておきたいのであれば略解は絶対に必要だと思います。

とはいえ、略解を読めばすべてのテキストを理解できるのかというと、そうでもありません。聖書というのはそんなに生易しいものではなくって、「なんだここは!?いったいどうしてこんなことを言うんだ??」と思って略解の該当する解説を読むと、一言「イエスがなぜこんなことを言ったのか、よくわかっていない」と解説(?)されていることもあります。

でも、これはこれで素晴らしいと思うんですよね。なぜかというと「専門家にとっても謎なんだ」ということがわかるからです。こういうときに腹落ち感のない説明をされれば、かえって聖書というテキストの価値を貶めることになるでしょう。

聖書はよくわからない、本当に謎に満ちた本なんです。その本を読むためのよすがになるのが略解ということなんですが、決してそれは万能ではなくって、奥深い洞窟のなかを歩いていくためのろうそく程度のガイドでしかない、ということです。この点について僕はいろんなところでいっていますが、聖書ほど「絞れる本」はありません。矛盾だらけですし、文脈と発言がまったくフィットしないように感じるところも多々ある。しかしだからこそ、二千年前のパレスチナで、この「本の中の本」を編纂した人は、どんな意図でもってこれを書いたのか、この文書を挿入したのかを考えるのが楽しいわけで、その楽しい知的作業をもっと楽しくしてしてくれるのが略解だということです。

聖書に興味のある人であれば手元においておいて損はないと思いますよ。

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