Tuesday, March 1, 2016

0060 聖書 新共同訳 ★★★


なんとなく聖書を読み始めるようになったのはおそらく三十代の前半のことだったと思います。プライベートでとても辛い状況が続いて、ふと「そうだ、聖書を読んでみよう」と思い立って、銀座の教文館で買い求めたのを、いまも折に触れて開いています。

まず、普通の感覚で「一度聖書を読んでみようか」という人であれば、日本聖書教会が出している新共同訳がよいと思います。僕自身は、実は文語訳の聖書と、あとは聖書学者の田川建三先生が訳した分冊のもの(聖書としてまとまっておらず、たとえばマタイ福音書とかルカ福音書といった、一つ一つの文書単位で一冊になっている)を持っていて、両方ともとても好きなのですが、「聖書を読む」というのは、ひとつのプロトコルを身に着ける、ということでもありますから、そういった側面からはもっとも普遍的な新共同訳がいいと思います。

あと、もうひとつ考えられるのが、新共同訳のなかでも「引照つき」という版です。これは、普通の聖書となにが違うかというと、本文の欄外に、似ているテーマや背景として理解しておいたほうがいいような別の箇所のガイドが掲載されています。普通の新共同訳の聖書には本文が書かれているだけで解説も注釈もありません。で、個人的にはこの「引照つき」は、やっぱりとても勉強になると思います。

なぜかというと、聖書のテキストは相互に関連している箇所が多く、とくに新約聖書のテキストは、かなり旧約聖書を読み込んでいることを前提にして書かれているからです。たとえばマタイによる福音書の冒頭にはイエスがダビデの遠い子孫であることが、いきなり、極めてぶっきらぼうに書かれていて面くらいますが、これは旧約聖書にある「ユダヤの王はダビデの系譜から生まれる」という予言のためで、それを知ってさえいれば「ああ、これで正当な血筋ですよと言いたいんだな」とわかるわけです。逆に、それを知らないとまったく意味不明なままで、新約聖書にはこういった箇所がかなりあるので、興味深く読むためにはテキスト間でのつながりがわかったほうがいいと思います。

なので、一応ライプニッツ!店主としては、ある程度マジに聖書を勉強したいという人であれば、聖書は新共同訳の引照つきを、それに解説書として新約聖書略解(こちらもいずれ紹介します)を横において読むといいのではないでしょうか、というアドバイスになるのですが、じゃあ、実際に僕がそうやって勉強しているかというと、確かに略解は横においていることが多いのですが、どうしても手が伸びるのは「引照つき」ではなく、革装の小さな聖書のほうなんですよね・・・。なんというか、聖書にはとてもフェティッシュなところがあって、大きさと手触りがうまく組み合わされると、もうその聖書に自動的に手が伸びちゃうというようなところがあって、僕にとっては日本聖書教会が出している革装の小型聖書がそうだった、ということです。

なんでもないようなポイントにも思えますが、これはこれで大事かな、という気もするんですよね。聖書は読んでわかりやすいトリビアがあるわけでもなく、かといって血沸き肉踊るような箇所もまったくありません。短期間のあいだにパッと読みきっちゃうようなテキストではなく、生活のなかで折に触れて開いてみたり、興味がわいた箇所をあらためて読んでみたりといった、そういうつかず離れずの付き合い方が求められる本だと思うのですが、こういう付き合い方をしようとすれば「手に馴染む」というのはとても大事な要素だと思うんですよねって、うーん、僕だけかなあ、そういう人は。この主張に共感する人であれば、聖書はアマゾンで買わず、ちゃんと教文館のようなキリスト教書の専門店までいって「手に馴染む」かどうかを見極めてから購入されたほうがいいかも知れません。

最後に、どこから読めばいいか、という点について少しだけ。まずは新約聖書の福音書から読みましょう。それもマタイ、マルコ、ルカの三福音書(これを神学用語では共観福音書といいます)は必読ですが、もしヨハネの福音書が苦しければ、これは飛ばしちゃって構いません。そして共観福音書を読み終えたら、もう一度最初のマタイ伝から、共観福音書を読んでみましょう。そうすると、同じエピソードを書いているにも関わらず、微妙に記述が異なることがわかります。

なぜそうすすめるかというと、普通に大学を卒業するくらいの教養を持っている人であれば、ああこのエピソードってここに出てくるのか、ということがたくさんあるからです。クリスマスなどは一番わかりやすい例でしょうし、最後の晩餐なども福音書のなかに記述されたエピソードです。そしてなにより、イエスという人の言動が書かれているのは、福音書だけだからです。まずは福音書、なかんずくマタイ・マルコ・ルカの共観福音書をしっかりと読むというのを当面の目標にしてよいと思います。そこまで行ったら、あとは新約聖書の後半部分を読む、あるいは旧約聖書のなかのモーセ五書やヨブ記などの著名な文書を読んでいくといいのではないでしょうか。

聖書はとても「絞れる」テキストだと思います。何度読んでも、いつ読んでも、いろいろと考えさせられるところがあります。食わず嫌いしているのであればもったいありません。ぜひ、一度手にとってみてください。無理に読了する必要はありません。手元においておいて、夜寝る前に十分だけ読んでみる、あるいは落ち込んだときだけ開いてみるというような、そういう付き合いかで、まずはいいのではないかと思います。




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