Friday, March 4, 2016

0059 アースダイバー 中沢新一 ★★★


著者の中沢新一さんは文化人類学者、宗教学者ですが、本書の内容そのものは、どちらのカテゴリーにも整理できないように思います。何とも説明の難しい本なんですが、内容をそのまままとめれば、縄文時代の地図を現在の東京の地図に重ね合わせて東京を散歩してみたら、いろんなことを気づいたり考えさせられたりしたので、それを本にしてみました、ということになるかと思います。

で、散歩してみるとどんなことを気づいたり考えたりしたのか。個人的に最も印象に残ったのが、縄文時代の地形によって土地の性格をある程度整理できるとする仮説です。すなわち、縄文時代に海の底だった場所は、ウェットで人の欲望を喚起するような場所が多く、縄文時代に丘だった場所は、高級住宅地や宮家の敷地になっていることが多く、縄文時代に岬など「海と陸の境目」だった場所は、墓場や宗教施設になっていることが多い、という指摘です。

確かにその通りで、縄文時代に海の底だった渋谷や赤坂は風俗街・繁華街になっているし、高地であった青山や高輪は高級住宅地や宮家の敷地になっていて、両者の境目であった大門や増上寺のあたりはお墓とお寺ばっかりなんですよね。

でですね、僕はこの切り口の鮮やかさにやられてしまったんですよね。対象を分析するには「分ける」「折る」ための切り口が必要になります。東京という抽象的な都市像を理解したければ、対象を何らかの切り口で分けないといけません。通常、その切り口は、区などの行政区分であったり、住民の所得や年齢の分布であったり、地価の分布だったり、繁華街と住宅街といった土地の性格だったりするわけですが、ここに「縄文時代に海の底だった場所、丘だった場所、岬だった場所」という切り口を持ち出して、その切り口で整理してみると、土地の性格がある程度わかんだよねというのは、むちゃくちゃ知的に面白いと思うんですよね。僕だけなのかなあ、こんなに感動しているのは。

ああ、もう一人いますね。それは当の著者である中沢先生本人です。縄文時代の土地の位相で現在の東京を整理すると、その土地の性格がわかるという仮説に、本人自身もびっくりしたようで、エピローグにはこんなことを書いています。

どうして渋谷や秋葉原はこんなにラジカルな人間性の変容を許容するような街に成長してしまったのか、猥雑な部分を抱えながら新宿がこれほどのバランス感覚を保ちつづけていられるのはなぜか、銀座と新橋はひとつながりの場所にあるのに、それぞれが受け入れようとしている人々の欲望の性質がこんなにもちがうのはなぜか、などなど、東京に暮らしながら日頃抱きつづけてきた疑問の多くが、手製のこの地図をながめていると、するすると氷解していくように感じられるのだから、ますます不思議な思いがしたものである。

要するにこの仮説を思いついた中沢先生自身もびっくりしているんですよね。作曲や発明の世界では、本当にすごいインスピレーションは自分で作ったアイデアという感じがしない、何か与えられたような不思議な感じがするとよく言われますが、すごい仮説というのもまたそういう性格があるのかもしれません。

ちなみに「アースダイバー」という本書の題名はは、世界が一面の水に覆われていたという原初の時代、水底に潜って「新しい世界」の大地の元になるわずかな泥土を持ってきたという、アメリカ先住民の潜水鳥神話に基づいているそうです。

人間の脳は膨大な酸素を消費するために、できる限り認知や知覚を自動化するようにプログラムされています。しかし、慣れ親しんだ日常への知覚が自動化されてしまえば、知的生産につながる新たな気づきは得られない。必要なのは、普段何気なく暮らしている周囲の環境を、一度突き放して対称化してみるということです。ソ連の文学理論家であるヴィクトル・シクロフスキーは、日常的になれ親んだものを奇異なものとして提示し、怠惰になりがちな知覚を叱咤するような表現手法として「異化」というコンセプトを提唱しました。中沢先生自身は全く意図してないと思いますが、この本は東京という都市を「異化」しているんだよなあ、と思うのですよね。


強くお勧めします。

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