Tuesday, March 1, 2016

0051 SONY リニアPCMレコーダー PCM-D50 ★★ 


ソニーのリニアPCMレコーダーです。写真のモデルはPCM-D50という型式ですが、これを書いている時点ではすでに廃盤になってしまっているようで、こちらに代替わりしているようですね。

SONY リニアPCMレコーダー PCM-D100

僕がこのレコーダーを買ったのは、かれこれ8年ほど前になるので、最近のデジタルガジェットの進化を考えれば、ほぼ同価格帯のこの製品の性能は、おそらく大幅に上がっていると思います。

最近は廉価なレコーダーも数多く出ている上、そもそもスマートフォンのほとんどには録音機能があるので、なにを血迷ってこんな高額なレコーダーを、と思われるかもしれませんが、一度、しかるべき状況でこういった機器を使ってみると、会議録音用のデバイスにはもう戻れないと思います。

しかるべき状況とは、ズバリ「旅先の音を録音する」という状況です。僕は、旅行や出張で海外に出かける際は、できる限りこのレコーダーを持って行って、その場所の「音」を採集するようにしています。風景のことをランドスケープと言いますが、言ってみれば僕が集めているのはその場所のサウンドスケープということになります。虫好きが海外に行くとその場所で昆虫を採集するし、花好きが海外に行けばやはりその場所で植物を最終します。同じようにして、僕はその場所でしか聞くことができない「音」を採集しているということです。

やってみるとすぐに分かりますが、遠くを訪れて、その場所の「写真」「動画」「音声」を記録して、あとで振り返ってみると、最もその場所で感じた「情動」を呼び起こす力があるのは「音声」です。実は音声以上に再生力のある触媒があって、それは、その場所の「匂い」なんですけど、匂いはなかなか記録できないですからね。

どうしてそういうことが起こるのか?これにはどうも脳の仕組みが関係しているようです。視覚情報は脳の視覚野で処理され、音声情報は聴覚野で処理されますが、前者が理性を司る箇所に近いのに対して、後者は情動を司る箇所に近い、ということのようです。ニーチェは音楽や詩といった音声芸術はパトス=情動に働きかける芸術で、絵画や彫刻といった視覚芸術はロゴス=理性に働きかける芸術で、その両者が連合しているのがギリシア悲劇だ、ということを『悲劇の誕生』という本の中で指摘していますね。

ちょっと横道に逸れますが、この人間の生理をビジネスの場でうまく利用しようとすれば、理性に訴えかけるコミュニケーションではなるべく視覚を、情動に訴えかけるコミュニケーションではなるべく聴覚を視覚する方がいいということになり、僕もなるべくこの考え方に則って顧客や取引先へのプレゼンテーションを組み立てています。

で、話をサウンドスケープにもどせば、視覚よりも音声の方が情動を喚起しやすいという点について、ああやっぱりそうなんだなあと思ったのが、香港の雑踏を記録したCDが、返還後にカナダに移住した香港人のあいだでヒットチャートの一位になったという話です。香港の写真なんてネットを開けばいくらでも出てくるし、写真集だって世界中で売られています。でも、故郷を懐かしむ、ノスタルジーに浸るというときには、やっぱり映像じゃないんです。生まれ育った町の雑踏を記録した、そういう意味では音楽でもないノイズが情動に働きかけるんです。

そうだ、『イル・ポスティーノ』という映画はご覧になられましたか?アルゼンチンの国民的詩人パブロ・ネルーダが国を追われた際、一時期ナポリに身を寄せていた時期があるのですが、この映画は、フィリップ・ノワレ演じるネルーダと島の郵便配達人=ポスティーノの友情を描いています。ネルーダは結局、アルゼンチンに戻ってしまうんですが、その際、ポスティーノがネルーダにプレゼントするのが、ナポリの様々な風物を記録した録音テープなんですよね。

音の記録と記憶。写真や動画がなんでもなく撮れる時代だからこそ、かけがえのない一瞬一瞬の情動をかえって鮮やかに呼び起こしてくれるサウンドスケープは面白いと思うんですよね。ご興味があれば是非。

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