Tuesday, March 1, 2016

0050 デカルトの誤り アントニオ・ダマシオ ★★



理性と感情というのは、一般に対置される概念ですよね。感情的になっている人に対しては、もっと理性的になりなさいと言ったりするし、理性的な人にはもっと感情を出しなさいと言ったりする。両者は一種のトレードオフあるいはスイッチのようなもので、わたしたしは局面に応じてそれらのバランスをとるようにしなければならない、と教えられてきました。

しかし、本書を読むと人間の情報処理というのはそう簡単なものではないということがよくわかります。本書が読者に与えるメッセージを一言で要約すれば、クオリティの高い意思決定をしようと思ったら、理性以上に感情を用いなければダメだ、ということになります。これは、論理思考やクリティカルシンキングを信奉している人に対しては強烈なアンチテーゼになりますよね。

著者のアントニオ・ダマシオは南カリフォルニア大学の神経学者です。ダマシオは、脳に何らかの損傷を負った患者に臨床で接することで、脳の理知的な機能が残存しているにもかかわらず、日常生活で必要なちょっとした意思決定がまったく出来なくなってしまった患者に複数接することで、合理的な意思決定にあたって、人間は脳の理知的な機能だけでなく、情動や身体性といった要素も含めて活用していることを「ソマティックマーカー仮説」として提唱しました。ダマシオによれば、クオリティの高い意思決定を、文脈に応じて適時・適切に行うためには、脳の理知的な能力だけでなく、情動や身体性を動員することが必要であり、後者の能力が失われると、いくら理知的な能力が残っていても、社会生活に必要な「決める」という行為がまったくできなくなってしまうということを主張しています。

現在の日本で過剰に論理思考の重要性が叫ばれる理由は、個人的には太平洋戦争のトラウマへの反射だと思っています。つまり「空気」に流されて意思決定しない、組織を押し流そうとする空気への防護壁として論理思考を使いたい、という考え方です。これはこれでわかる考え方なんですが、ダマシオの提唱するソマティックマーカー仮説は、空気に流されまいとして過剰に論理に依存していると、人間が潜在的に持っている身体的知性・情動的知性をうまく活用できない恐れがあることを示唆してくれます。そういえば、スティーブ・ジョブズはことあるごとに「直観」に頼って意思決定することの大事さを指摘しているし、同様のことを指摘している経営者や歴史上のリーダーも少なくありません。

本書の題名が『デカルトの誤り』になっているのもそういう理由です。デカルトは、いわゆる大陸合理論を代表する哲学者です。大陸合理論というのは、乱暴にまとめれば、数学と同じように理知的に理屈を積み上げていけば、哲学においても正確で誤りのない結論に至ることができる、という考え方です。デカルトはそのために心身二元論を提唱しました。理知を司る心と、情動を司る体を分けるという枠組みを提唱したんですね。すでにお分かりのように、この仮説はダマシオのソマティックマーカー仮説とは真っ向からぶつかることになります。だから「誤り」と挑発的な題名をつけたんでしょう。

現在の世界はどんどん複雑になっていますよね。移り変わりもどんどん速くなっているし多くのモノゴトが関連して影響しあっているので、予測がとても難しくなっています。そんな中で、要素還元主義的な論理思考に一本足打法的に頼って意思決定しているのは危ないのかも知れません。そもそも、僕らの祖先は、目の前の茂みの中にライオンが隠れていることを直感的に気付いた人は生き延び、そうでない人は食べられるという時代を数十万年にわたって生き抜いてきた人たちです。そういう感度を本来的に持っている人たちだけが生き残って、僕らはその子孫なんですよね、一応。

そういえば、マルコム・グラッドウェルは『第一感 最初の二秒の「なんとなく」が正しい』のなかで、トスを上げた瞬間にそれがフォルトになることを見抜けるテニスコーチ、一瞬見ただけでそれが真作か贋作かを見抜くことができる美術鑑定家、夫婦の何気ない会話のビデオからその後の離婚を予言できるカウンセラーなどが紹介されています。興味深いのは、そういった特殊な認識・認知能力を、当の本人たちも説明できないということです。トスがフォルトになるかどうか、自分には予測できるけど、なぜ予測できるのかは説明できない、ということです。こういう人達が世の中に、実はけっこういるのだということを知るにつけ、直感的に「なんとなくヤバイ」とか「なんか良さそう」というフィードバックを身体から受け取る感度が、ジャングル的に見通しがきかなくなっていく世界においては重要なのかも知れないなと、そんなことを考えさせてくれる本です。





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