Tuesday, March 1, 2016

0031 J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲』 Yo-Yo Ma ★★★



無伴奏とは、文字通り「伴奏が無い」ということです。伴奏がない、つまりチェロ一本だけで音楽を作り上げています。しかし思い出してください、小学校の時の音楽の授業で、音楽はリズム、メロディ、ハーモニーの三つの要素によって構成されている、ということを習ったと思います。しかし、チェロは弦楽器なので和音を出すことが出来ません。和音を出すことが出来ないということはつまり、音楽の三要素の一つであるハーモニーを作り出せないということを意味しています。ハーモニーを使わずにどうやって音楽の色彩感/表情を作り出していくか?「無伴奏」という制約が生み出す音楽的な難しさはこの一点に集中すると言っていい。

バッハは、この問いに対して、和音を分解して旋律の中に潜り込ませることで、メロディと和音を同時に成立させる、というアプローチをとっています。本来、同時に鳴るべき和音を時間軸に分解して演奏する技法をアルペッジオと言います。よくわからない?分かりやすい例として、アルペッジオを非常にうまく使いこなしたバンドにABBAがあります。恐らく一番イメージしやすいのはチキチータでしょうか。この曲ではイントロからコーダ(終曲)まで、サビの部分をのぞいてバッキングはすべてピアノとギターのアルペッジオで伴奏されています。あるいはビリージョエルのShe's always a woman、サイモン&ガーファンクルのスカボローフェアーなんかもそうですね。


Abba "Chiquitita"


Billy Joel "She's always a woman"


で話を元に戻すと、バッハはこのアルペッジオと旋律を混ぜこぜにしながら、メロディと和音を「一つの音」だけで紡ぎだして舞曲を作る(知られていませんが、この曲はもともと舞曲集として作られています)という「誰からも課されていない」超人的に難解な方程式を自らに課して、この「無伴奏チェロ組曲」という奇跡の様な解を生み出したわけです。

従って、この曲の聴き所は、作曲者がどのような戦略でもって色彩感とメロディを両立させようとしたかというエクリチュール=書法に関する点と、書かれた楽譜を演奏者がどう解釈し、どの音は和音の構成音として、どの音はメロディの構成音として弾き分けているかという点の二点になります。慣れてくれば楽譜を横目に眺めながら、演奏者ごとの解釈の違いを相対化して楽しめる様になります。

ちなみに、こういった音楽的な挑戦の話をすると、なんだか作曲者が自己満足で楽しんだパズルの様なニュアンスがありますが、出来上がった音楽が、端的にとてつもなく美しい、というところにバッハのそら恐ろしさがあると思うのですよね。どんな景色でもこの曲をかけることで何か象徴的な風景の様に切り取ってしまうような、そんな曲です。

大変な名曲で(特に一曲目は誰でも聴いたことがあるはずです)録音の数も膨大なのですが、まずはヨーヨーマの演奏が、端正で入りやすいと思います。

Yoyo MA "Uncompanied Cello Suites No.1 Prelude" J. S. Bach

ヨーヨーマは1982年と1995年の二回に渡って同曲の録音を行っていますが、これは1982年、彼が20歳のときに録音した盤で、年齢のせいもあるのでしょう、とても若々しく朗らかな演奏になっています。無伴奏チェロ組曲にはカザルスやビルスマ、マイスキーなどが名盤を残していますが、どれも少し形而上学的というか、なんとなく小難しい匂いが付き纏っていて、それがまたこの曲の魅力でもあるわけですが、休日にスターバックスでゆっくりコーヒーを楽しみながら聴くのであれば、もう少し「コブシ」が効いていない演奏がいいかなと思い、まずはヨーヨーマの、それも旧盤を推しておきます。

聴いてみると、あまりに美しく自然なメロディなのですが、その色彩の豊かさ、感情の起伏が、メロディの中に潜り込まされた「分解された和音」によって形成されていることに、少し気をつけて聴いてみてください。今までは違う聴こえ方がするのではないでしょうか?

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